近代スポーツ史 3
まず身体教育センターを設立し、翌1811年、ハーゼンハイデにギムナジウム(高等中学校)を建てます。
そこでは正課として多くの鍛練が行なわれましたが、やがて彼は器械体操を殖やし、平行棒、あん馬、鉄棒、平均台などが、このギムナジウムから生まれます。
彼はさらにドイツ国民にいずれ独自のものとなるトゥルネン(体操)を提唱します。
提唱は受け入れられます。
しかし、実際に建てられたのは、活動の舞台となるはずだったトゥルンプラッツ(屋外体操場)ではなく、閉鎖的で小規模なトゥルンバレ(屋内体育館)でした。
彼は同様の体育館を各地に建てます。
その考えは批判に晒されましたが、体操を、という運動は確実に広がりました。
・・・ところが、そんなヤーンの前に一人の理論家が立ちはだかるようになります。
ペル=ヘンリック・リンク(1776~1839年)です。